Nov 29, 2008
バリエーション豊かな村の看板
これで、町を見渡すとあちこちに看板が目に入ってきます。レストランはもちろん、美容室など、さまざまな種類の看板があります。夜になっても、看板がよく見えるように照明されているものもあります。また、レストランでは、黒板の看板が、その日の日替わりメニューなどを記載し、非常にバリエーション豊かな看板を見ているのがとっても楽しいです。商店街の看板をよく見ると、本当に面白いことが見えてくるものです。それぞれのアイデアを出し合い、一つのものを作るというのは微笑ましい光景でもあります。看板の魅力をもう一度考えてみましょう。宣伝のツールとして、昔ながらのシンプルな方法ですね。これからも長い時間をかけて持続させてください。
津波が校舎1階を襲った山田町立船越小学校の卒業式が25日、近くの船越保育園であった。海を見張っていた校務員の田代修三さん(55)が危険を知らせ、校庭に避難していた児童は山を登って、173人全員が無事だった。卒業生は「救ってくれてありがとう」と田代さんを囲んだ。
田代さんは海に面した同小の近くで生まれ、大津波の経験があった父親から「津波が来たら1メートルでも高い所へ逃げろ」と教えられてきた。11日は、大きな揺れを感じたため、海を見張った。湾全体が盛り上がるような波を見て、「ここじゃ危ない」と佐々木道雄校長にさらに高い場所への避難を訴えた。教師らが児童を山の上へ誘導した直後、津波が校舎を襲った。
船越小では、親を亡くした児童もいる。卒業式の冒頭には全員で黙とうした。
佐々木校長は式辞で「みんなは歴史の語り部となる運命を担わされた。見たこと聞いたことを語り継ぐ役割があります」と述べた。
金庫にしまってあった卒業証書は、津波の被害で取り出せなくなったため、代わりの証書を手渡した。
卒業生の加藤三範君(12)は「間近で見た津波は怖かった。助けてくれた先生方には感謝している」と話した。笑顔の児童らに囲まれた田代さんは「津波の大きさに身震いした。子供が無事に巣立って何よりです」と涙ぐんだ。
6年生担任の片桐啓一教諭は「アルバムは流されたが写真データは残っているので、また作ってもらおう」と述べ、印刷し直すことを約束。「新しい学校がいつどこにできるか分からないが、顔を出して近況を教えてください」と、最後の“宿題”を出した。【熊谷豪】
3月26日朝刊
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東京電力福島第1原発事故の影響で、水道水や土壌から高い濃度の放射性物質が検出された福島県飯舘村。人口約6100、農業や畜産業で暮らす小さな村は突然、原発事故と放射能漏れの渦中に巻き込まれた。村に残る人たちは、見えない恐怖に神経をすり減らす日々を強いられている。
▼テレビ音なし
「マスコミは『(放射性物質は)ただちに健康に影響はない』というが、将来はどうなのか。ここに住む人の視点に立った情報が知りたい」
生後10カ月の長女らと村で暮らす佐々木美絵さん(26)は訴える。
家族の事情で村外へ避難できない。「社会的に弱い人ほど情報も手に入らない。取り残されるのでは、という不安がある」と佐々木さん。
情報を入手するために、震災や原発事故を報じるテレビを見ずにはいられないが、音にストレスを感じるようになり、画像だけを流す。音の出ないテレビの前で、原発事故が早く収まることを祈る毎日だという。
飯舘村の水道水から飲用の暫定規制値(1キロ当たり300ベクレル)を超える965ベクレルの放射性ヨウ素を検出―。20日、県がそう発表してから、村の生活は一変した。
土壌などの汚染も明らかになった。土1キロからヨウ素117万ベクレルとセシウム16万3000ベクレル、雑草1キロからは254万ベクレルのヨウ素と265万ベクレルのセシウム。
数値はいずれも20日をピークに下がる傾向にあるが、村は今も、全住民に水道水の摂取を控えるよう求めている。
▼村内現在4000人
「国や県が検査結果の意味や対策をしっかり説明しなければ、風評被害や住民の不安は拡大していくばかりだ」。菅野典雄村長は頭を抱える。
農業や畜産業への影響は大きい。4月にはコメ作りが始まるが、作業の遅れは避けられない。地震の直後、飯舘村小宮の農業安斎徹さん(61)は種もみを水に漬けたが、例年のように田植えができるかどうかを危ぶむ。
「田植えが遅れてしまえば、収量は半分にまで減るだろう。たとえ収穫できても、飯舘産のコメが売れるのだろうか」と安斎さんは話す。
村は高級和牛ブランド「飯舘牛」でも知られるが、村内の畜産業関係者からは「ブランド自体を捨てなければいけないかもしれない」との悲痛な声も上がる。
村外への避難で、6100人の村民は一時、3000人に減った。その後、避難先から戻る人も目立ち、今は約4000人になっている。
原発から北西約40キロの飯舘村。安斎さんは不安とともに疑問も抱く。「放射性物質の数値だけが一人歩きしている」。県外の友人から毎日のように「避難しないのか」と言われるが、村を離れるつもりはないという。
(太楽裕克、橋本俊)
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